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■ 議会での質問  日本共産党東京都議団


2004年第1回定例会  文書質問

松村 友昭(練馬区選出)

千川上水の清流復活事業について

 千川上水は武蔵野市の境橋付近で玉川上水から分岐し、2市4区(保谷市、武蔵野市、練馬区、中野区、杉並区、豊島区)を流れ、北区滝野川いたる延長22qの上水で、白子川、石神井川とともに、まちなかを流れる清流として親しまれてきました。
 千川上水はかつて、桜の名所として区民に親しまれてきたところで、その数キロメートルにもおよぶ川沿いの見事な桜並木は、いまも、私の脳裏に深く焼き付いています。
 その歴史は、およそ300余年前にさかのぼり、江戸時代の元禄9年、小石川御殿、湯島聖堂、東叡山寛永寺、浅草御殿などに給水することを主な目的としてつくられ、浅草方面など江戸北部80余町への飲料水の供給、さらには、沿岸の20か村に分水され、灌漑用水、水車の動力としても大きな役割を果たしたと聞き及んでいます。
 現在は、残念ながら、急速な都市化によって、区内部分については、ほとんど暗渠化され、地域から水辺空間と、みどりの風景がうばわれてしまったのです。そのうえ、地上部は都道とされているため、いまでは、そこに川があったということを知っている住民はすくなくなりました。
 こうした中、東京都は1989年ごろから野火止用水、玉川上水、千川上水などの清流をよみがえらせる清流復活事業にとりくむことになり、練馬区では、おおくの区民が、千川上水についても清流が復活するのではと期待をふくらませたのです。
 しかし、東京都の清流復活事業は、練馬区内部分については、青梅街道までのごく1部の地域にとどまったため、千川上水はほとんどが暗渠のまま残されることになりました。区民、区議会から青梅街道から下流についても清流を復活して欲しいという強い要望が出されながら、今日に至っています。
 そのため、千川上水を清流として復活して欲しいという、区民の声があらためてひろがろうとしています。
 現在、地方分権のいっかんとして、千川上水などの河川の管理について、東京都から基礎自治体に移管する方向がうちだされ、関係区市とのあいだで、協議を行なわれており、区民はその動向に注目しているところです。
 そこで伺います。

1.大都市東京の23区は、都市化された地域が連担しており、しかも、地方と違い区市の区域もそう広くありません。その区域を流れる千川上水の管理を区市の境界をもって細かく分断する必要は見あたりません。そこで、千川上水などの河川は、東京都が広域行政に立場から、管理にあたることが合理的であり、継続して東京都がおこなうべきと考えますが、どうか。

1.東京都は、千川上水の区移管ができない場合、暗渠をつぶす計画と聞いて いますが、事実か。

1.千川上水には、日量1万立方メートルの水が流れており、その水辺空間としての活用がいそがれています。区市との協議においては、千川上水の暗渠部分を含め、今後とも清流化をはかる立場から協議をつくすべきだと思いますが、どうか。また、当面、区内の暗渠部分を可能な場所で開渠して、水辺環境の創出して欲しいという、要望に応えるべきではないか。どうか。

 以上